[ITmedia エグゼクティブ] 5年で辞める予定の元数学青年が「しなやかな心とぶれない軸」でCISOへ - 富士通 太田氏
富士通のCISOを務める太田雅浩氏が、セキュリティに携わり始めたのは2021年のことだ。それ以前は、SEとしてUNIXやC言語を使ったシステム開発を手がけ、大手通信会社などの大規模システム、富士通のクラウド事業などを経験してきた。
もともとは数学の研究者を志し、富士通に入社して間もなく「5年で辞める」と考えていたという太田氏。そこからなぜSEの仕事を続け、セキュリティ未経験の状態からCISOを任されることになったのか。これまでのキャリアと仕事観、CISOという役割の捉え方、今後取り組みたいことを聞いた。
太田 雅浩(OHTA Masahiro)
――富士通株式会社 執行役員常務 CISO
1985年に富士通へ入社。メインフレーム全盛の時代にUNIXやC言語によるシステム開発プロジェクトを担当する。SEとして大手通信会社のシステム開発に携わった後、富士通のクラウド事業責任者に就任。シニアフェローを経て、2021年10月にCISOに任命される。
「5年で辞める」つもりで始まったSE人生
――学生時代は何を学んでいましたか。
大田氏: 数学です。将来は大学の教授になりたいと考えていました。当時の私はあまり社交的ではなく、ものを売る仕事より、研究の方が向いているんじゃないかと考えていたんです。大学院にも進みましたが、実際に入ってみると、研究の世界は、どうも私には肌が合わないと感じました。それで修士課程を終えた段階で「数学はもう終わり」と決めました。
――富士通に入社した経緯を教えてください。
大田氏: もともと大学に残るつもりだったので、就活のことをあまり考えていなかったんです。教員になるか企業に就職するかを考えましたが、生徒の指導は私に向いていないと思い、就職先の企業について先輩に相談しました。
そこで「最初は小さい会社に入るより、大きい会社に入ったほうがよい。もし転職したくなっても、大きい会社から小さい会社なら採用されやすいが、逆はそう簡単ではない」と言われました。大学から富士通に入っている先輩も多かったので、それならいったん富士通に入ろうと決めました。
――入社後はどのような環境でしたか。
大田氏: 1985年に入社したのですが、研究部門ではなく、コテコテのSEでした。当時の職場は体育会系でしたね。飲み会で話がつまらないと「もっと面白いことを言え」などと言われましたし。正直なところ、あまりなじめず、「5年で辞めてやろう」と思っていました。とはいえ、何も残さずに辞めるのは嫌だったので、とりあえず5年は頑張ろうと。そのつもりで仕事を始めました。
UNIXとC言語でつかんだSEの手応え
――最初に担当した仕事は何でしたか。
大田氏: 入社した時からUNIXとC言語を使っていました。当時はメインフレームでCOBOLやアセンブラを使うのが主流で、UNIXやC言語を扱う人は周囲にほとんどいない時代でした。
最初に携わったのは、金融機関の営業店向けシステムです。お客さまは、プロジェクトの元請けである大手IT企業でした。当時のUNIXには今のようなミドルウェアがそろっていなかったので、ミドルウェア自体を作り、それを使うアプリケーションも開発していました。
私は、ミドルウェアそのものを作る側と、それを使ってアプリケーションを作る側の両方を経験しました。その経験を通じて、コンピュータシステムの根幹を理解できたんです。自分の成長にとって非常に大きな経験だったと思います。結局、その仕事を10年続けました。
――5年で辞めるつもりが、10年になったと。
大田氏: そうですね。5年たつころには、私はSEに合っているんだと感じるようになりました。何が合っていたのかは、自分でもうまく説明できません。
ただ、当時はC言語やUNIXを知っている人が社内にほとんどいませんでした。それらを学ぶための技術書も数えるほどしかなく、とにかく実際に動かしながら覚えるしかありませんでした。そうやって突き詰めていくうちに、C言語とUNIXについては、社内では誰よりも詳しくなっていきました。その技術知識を基に自分の考えを率直に伝えるようになり、お客さまからも少しずつ信頼してもらえるようになりました。
――その後はどのような仕事を経験しましたか。
大田氏: その後、大手通信会社の人事システムや電話交換機の輻輳を管理するシステムなどを担当し、2000年からは別の大手通信会社を担当しました。
最初に担当した人事システムのプロジェクトでは、「これまでの経験を新しい現場で生かせる」と期待に胸を膨らませていました。しかし、実際に担当してみると、それまでの仕事で培った制御系の知識がさほど役に立たず、代わりに業務知識が求められました。開発の文化や進め方も全く違いますし、人事業務そのものにも詳しくなかったので、かなり苦労しました。
クラウド事業が広げた仕事の視野
――その後、富士通のクラウド事業を担当されました。どのような仕事をしていたのですか。
大田氏: それまでのように特定のお客さま向けの仕事に深く入り込むのではなく、より広い視野で多くの人に提供するサービス側に移り、富士通のクラウド立ち上げを担当しました。
当時はAWS(Amazon Web Services)が圧倒的な規模を誇っていたので、お客さまに選ばれるためには、何らかの差別化要素が必要でした。そこで重視したのが信頼性・可用性です。例えば、各分野の競合ソリューションをクラウド内に複数用意しておき、いずれかにバグやセキュリティ上の問題が起きても、別のソリューションに切り替えてサービスを継続できるようにするといった具合です。
複数ベンダーの製品を用意すれば、当然コストはかかります。それでも、単一のベンダーや製品に依存しない環境を作ることが、高い信頼性につながると考えたのです。
――クラウド事業を経験して、仕事の見方は変わりましたか。
大田氏: 変わりました。それまでは大手IT企業や大手通信会社を担当し、「お客さまにとってどうなのか」という視点で仕事をしていました。クラウド事業では、それに加えて「富士通の経営から見てどうなのか」「社内から見てどうなのか」という視点が必要になりました。
営業やSEを含め、さまざまな関係者と仕事をする中で、社内の顔も広くなりました。仕事上の貸し借りも増えて、「太田が言っているならしょうがない」と思ってもらえるような関係もできました。
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