[ITmedia エグゼクティブ] リクルートにおける社内ICT環境をアップデートし続けるための仕組みとは
著者
京部康男
[ITmedia]
株式会社リクルート スタッフ統括本部ICT企画統括室 ICT戦略推進部部長 木下惠太氏
世の中のICT環境の変化を捉え、最新のテクノロジーをいかに早く安全に提供するか。この課題に対し、約6万6000IDを抱えるリクルートは「モニタリングと現場ニーズの観察」という独自のアプローチで応えている。
2026年8月の「ガートナー デジタル・ワークプレース サミット 2026」で、株式会社リクルート(以下、リクルート)の木下惠太氏(スタッフ統括本部ICT企画統括室 ICT戦略推進部部長)は、社内ICT環境をアップデートし続けるための「アプローチ」を語った。
6万6000IDに届ける「R-ICT」(リクト)
同社の社内ICT組織であるICT統括室は、全社標準のICTサービス群「R-ICT」(社内では「リクト」と呼ぶ)を企画から運用・提供までを一貫して手がけている。対象はリクルート単体の従業員約1万3000人だけではない。人材派遣などグループ企業の従業員やパートナーも含め、約6万6000IDに及ぶ。
通常、これだけのアカウントがあると標準ツールの選定には慎重にならざるをえない。しかし、同社の最新AIソリューション導入の決断は迅速だった。理由は、事業部門やプロダクト開発で「早く使いこなしたい」というニーズが一気に広がり、公式環境がないまま部署ごとの契約が乱立しかねない状況になったためだ。
個別契約が乱立すると、コストは割高になり、監査ログは取れない。入力データをAIの学習に使わせないオプトアウトも担保できない。
「利用ニーズが急拡大して、このままでは個々に契約するということが起こりかねなかった。皆さんが安心安全に使える環境を提供することをまず優先し、そのあと契約形態を含めて継続的に見直す前提で、早く出すことを優先的に判断した」(木下氏)
領域の拡大とガバナンスのバランスを考え、中央集約型(Enterpriseプラン)の導入を数カ月で決断した。木下氏はこの判断について「シャドーITが広がりかねない状況下では、まずスピーディーに環境を整備し、その後に最適化を進めていくことが重要だ」と振り返る。
野良ツールも一律禁止ではなく「観察して育てる」
全てのツールをこの速さで決めているわけではない。急に広がる変化には「即応判断型」、じわじわ広がる変化には「定常観察型」を使う。後者が「R-ICT候補生スキーム」だ。
リクルートはボトムアップが強く、油断するとツールが各所に広がりやすい、と木下氏は言う。かつてラインアップを絞り、「これを使ってください」と渡していた時期があった。コストは抑えられたが、事業ニーズとのギャップが広がった。
その反省から、標準ツールにないサービスは相談窓口へ来てもらう形に変えた。新しいツールはセキュリティチェックを受けるルールがあるので、セキュリティ組織からも相談内容を連携してもらい、ニーズを見逃さないようにしている。
短期間に複数の導入相談がある。利用する人数や組織が広がっている。そうした芽が見えても、すぐ全社標準にはしない。「候補生」として登録し、コストは利用部門が負担する。ICT側はID数などで広がりを見守る。爆発的に広がれば全社サービスへ引き上げ、広がらなければ外す。鮮度が落ちたサービスを外すルールも整えた。
「野良ツールを一律禁止という形よりも、観察して育てる運用の推進で、ガバナンスと現場のニーズや自由度を両立する」(木下氏)
即断を支える「5つの物差し」
速さの違う2つの意思決定を両立させる土台が、2022年から続ける「ICT指標モニタリング」だ。
情報システム部門は、KGI(Key Goal Indicator:重要目標達成指標)やKPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)のツリーを組み、絶対達成すべきゴールとして組織を動かすところが多い。リクルートはそこを重視していない。未達の説明や帳尻合わせが目的になりやすいからだ。
「絶対この水準まで行かなければいけないというよりも、ヘルスチェック的に『今の現在地はここにある。ゆえに次はこういったアクションを試すべきではないか』と、次のアクションを打つための自己点検のツールとして利用している」(木下氏)
最初に設定した物差しは、利便性、先進性、効率性、セキュリティ・コンプライアンスの4つ。日々の活動で大事にしていることを言葉にした結果だという。
利便性は全サービス対象の満足度調査で年2回測る。前回の総合満足度は63.1%。7割前後を目安にはするが、水準そのものより、なぜ動いたかを点検し続けている。各サービスには「サービスオーナー」を置き、満足度と予算のバランスを見ながら改善を起案する。
先進性は外部のSaaS(Software as a Service:クラウド型ソフト)評価サイトと自社ラインアップを年2回突き合わせる。効率性はサービス別・勘定科目別のコストと1人当たりICTコストを年1回、セキュリティ・コンプライアンスは専門部門と組んで年1回評価する。結果は、役員と部門責任者が意思決定する「ICTボード会」の題材にする。
「AI専用の指標」は、検討したうえで作らなかった
2024年4月、ICT統括室はビジョンを「働くを、シンプルに。」に改め、5つ目の物差し「業務時間の創出」を加えた。測り方は、業務改善事例の時間集計と、問い合わせ件数・対応時間の削減の2つである。
生成AIの時代に「AI専用の指標」は要るのか。2026年度の計画づくりで検討し、結論は「追加しない」だった。社内ICTとして知りたいことは3つに絞られた。世の中の基準で「イケてる」AIを提供できているか。投資は最適か。業務時間を生み出せているか。それぞれ、先進性、効率性、業務時間の創出という既存の指標で、すでに測ることができるからだ。AIだけを切り出しても、同じことを二重に測ることになる。
作らないと決めたことも、検討を経て組織で合意した意思決定だと、木下氏は位置付ける。
先進性の定点観測でも、外部評価サイトに「AIエージェント」というカテゴリーが加わったことを検知し、共通プラットフォームとしてどう位置付けるかを議論している最中だ。
イケてるテクノロジーを、いち早くビジネスに装着する
これまで社内ICTは、カテゴリーごとに最良のSaaSを選び、人がツールを使う前提で評価してきた。AIエージェントが業務をまたいで動くようになると、画面の使いやすさより、社内のデータやナレッジに届くか、周囲のサービスとつながって動きやすいかが問われる。
「『カテゴリー単位でイケてるか』を測ってきた先進性の指標は、『エコシステムとしてイケてるか』を測る指標へ進化するのかもしれない」。同氏はそう語り、実践はこれからだと断った。
木下氏が日々向き合っている問いは短い。「イケてるテクノロジーを、早く安全にビジネスに装着し続けるために、何が必要か」。変化の速さに応じて、観察して育てるやり方と、基準のうえで即断するやり方を使い分ける。指標もポートフォリオも完成形はない、というのが同氏の着地だった。
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