伝説の次官が「義兄弟」のノンキャリに託した命の道…透析患者を救え 修羅場の震災被災地で残された時間は3日 | 政治・経済・投資 | 東洋経済オンライン

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東日本大震災で国土交通省東北地方整備局長として現場の総指揮を執り、後に国土交通事務次官となった徳山日出男氏。その胸の内を本人が語った「ドキュメント・危機のリーダー」(今年4~7月配信)は、多くの方に読んでいただけました。
続編となる「組織論編」では、徳山氏の下で組織がどう動いたのかを、政治・政策アナリストの蔵前勝久氏が関係者の証言から描きます。4回目は、震災対応で生きた、役人同士の「義兄弟」の絆の物語です。
「道路部長を除く幹部がみんなそろっていた。ある意味、奇跡で、防災組織として幸運だったんですよ」
国土交通省の出先機関、東北地方整備局の防災課長として東日本大震災の対応に当たった熊谷順子は、そう振り返る。
2011年3月11日。東北地方整備局長(当時)で、後に国土交通事務次官となる徳山日出男は、着任から53日目に大震災に直面した。
その約50日間の多くを、徳山はあいさつ回りに費やしていた。管内に数多くある出先事務所だけでなく、東北各県の知事、市町村長、そしてメディアにも足を運んだ。
徳山は言う。
「地方紙や専門紙、テレビ。それまでの整備局はあまり熱心じゃなかったが、広報は大事だと思っていたから、できるだけ回った」

徳山日出男(とくやま・ひでお)/1979年東京大学工学部土木工学科卒業、建設省入省。2008年国土交通省道路局企画課長。11年1月同東北地方整備局長、東日本大震災で現場対応を指揮。13年同道路局長、14年同技監、15年同事務次官。電通執行役員社長補佐、政策研究大学院大学客員教授を経て、国土技術研究センター理事長(撮影:今井康一)
出張が多かったこともあり、徳山が整備局内の災害対策室(災対室)に入ったのは、震災当日が初めてだった。災対室を管理していた熊谷は、「いくら局長が忙しかったとはいえ、事前に案内できなかったのは、私のミスだった」と口にする。
2人の副局長や8人の部長ら、東北地方整備局のほかの幹部も、管内を回る出張が多かった。仙台にある庁舎にいることは、普段から少ない。ところが震災が起きた日は、道路部長を除く幹部全員が庁舎にそろっていた。
熊谷が明かす。
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くらまえ かつひさKatsuhisa Kuramae
1976年、鹿児島県南九州市川辺町生まれ。2000年朝日新聞社入社。政治部記者、論説委員(政治担当)、政治部デスクを歴任し、26年4月独立。著書に『自民党の魔力』(朝日新聞出版)、『日本政治と宗教団体』(共著、朝日新聞出版)、『「言った者勝ち」社会』(共著、朝日新聞出版)、『自壊する官邸』(共著、朝日新聞出版)がある。X(旧ツイッター):https://x.com/k_kuramae、note:https://note.com/katsuhisakuramae
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