深夜の飲食需要に着目したが、中華料理の「日高屋」はロードサイドでなく駅前を狙った | 政治・経済・投資 | 東洋経済オンライン

メニューの豊富な中華食堂「日高屋」を育てた、ハイデイ日高会長の神田正氏の証言を全3回に分けてお届けする(第1回)。
今から約50年前、ひな人形で有名な埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の商店街の一角で、自らの店「来来軒」を持ったのがすべての原点だ。昼間だけでは商売にならず深夜まで店を開けていたら、残業を終えた人形職人たちが大勢食べに来てくれた。創業当初から、夜の需要の大きさを感じていた。
この四半世紀の主要な出来事や経済社会現象について、当事者たちの声を掘り起こす。
そこで、どうすれば24時間営業ができるのかを徹底的に考えた。当時はコンビニも深夜に営業するファミレスもなく、深夜に開いているライバルは屋台だけだった。
昭和の時代、深夜の駅前に屋台がずらりと並んでおり、ラーメンやおでんをつまみにお酒を飲むお客様が大勢いた。だが私は屋台は早晩なくなるだろうと確信していた。道路を不法占拠しているうえ、水道設備がなく不衛生でもあり、行政がこのまま放置しておくはずはないと考えたからだ。
駅前への出店を加速
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かねこ ひろきHiroki Kaneko
横浜市出身で早稲田大学政治経済学部を卒業。2023年4月東洋経済新報社入社。現在は外食業界を担当。食品ロスや排出量取引など環境問題に関心。
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