人類最初期の文明はどのようなものだったのか?
人類は古くから文明を築いてきましたが、大昔の記録はほとんど残っていません。そのような中でも、DNA解析技術や年代測定の進歩により、かつての世界がどのような姿をしていたのかが徐々に明らかになっています。科学系YouTubeチャンネルのKurzgesagtが、今から1万2000年ほど前、最後の氷河期が終わりを迎えた頃からの人類の歴史をたどっています。
We Finally Know More About Humanity’s First Civilization - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_y9JuojAIg0
Kurzgesagtが最初に取り上げたのは、今から1万2000年ほど前、アジア最西部、現在のシリア北部に存在した集落「カラハン・テペ」です。ここは記録に残る人類最古の集落跡だと考えられています。ここに集まった数百人もの人々は、石と木の道具を使って岩盤を削り、高さが数メートルにもなるT字形の柱に動物の彫刻を施しました。中には裸の人間が自らの生殖能力を誇らしげに示す姿や、鳥や獣をかたどったものもありました。
彼らが具体的にどのように作業を進めたのか、なぜこのようなものを作ったのかは分かりません。確実に分かっているのは、これが石器時代としては途方もない規模のプロジェクトであり、地球全体にとって新たな時代の始まりだったということだと、Kurzgesagtは指摘しています。
ここから、驚くべき進歩の連鎖が始まります。何千年もの間、人類は食べられる植物の一部を地面に埋めておけば翌年には再び育ち、しかも以前より大きく豊かに実ることを学んできました。そして、氷河期が終わり気候が安定したことで、人々は野生の植物を採集するのではなく、自分たちの手で栽培するようになりました。農業の起源はここにあります。そして、定住地・共同体・儀式・信仰も、農業を中心に発展していきます。
食料が増えると人口が増加し、新たな専門職が生まれ、交易網が広がり、最初の職人や芸術家が登場します。Kurzgesagtは次に1万年前~8500年前の文明を取り上げています。この頃、人類の人口は500万〜1000万人ほどだったと考えられています。これまでにさまざまな共同体が異なる生活様式を試し、うまくいったものもあれば消え去ったものもありました。すでに長い歴史を持っていた交易網がさらに発達し、ビーズ、貝殻、そして何よりも黒曜石が、何百キロメートルもの距離を移動しました。この時代に、人類史上最大の共同体が誕生します。
カラハン・テペから少し西に位置する場所から、「チャタル・ヒュユク」という遺跡が見つかっています。ここは、約8500年前に数百人が暮らしていたと考えられている都市です。この村落には独特の建築様式と生活様式がありました。通りも路地もなく、家々が互いにぴったりと寄り添うように建ち並び、木製のはしごや橋を使い、屋根に開けられた穴から出入りしていました。
家の内部は美しく装飾されており、部屋には動物の絵が描かれ、漆喰(しっくい)で覆われた雄牛の頭蓋骨が壁に埋め込まれ、鮮やかな赤い黄土で彩色されていました。人々はパンやナッツ、チーズを食べ、ビールを飲んでいたと考えられています。
また、愛する人が亡くなると、自分たちの家の下に埋葬し、数年後に遺体を掘り起こして頭蓋骨を取り外し、飾り立てて家の中に置いていたという奇妙な習慣がありました。
さらに時間がたつと、農耕民は西南アジアからさまざまな方向へと広がり始めました。異なる集団が出会い、物資を交易し、技術を共有し、時には同じ土地をめぐって争いました。この時代の痕跡として、矢や棍棒などの武器で傷が残った人骨や、矢尻が刺さった複数の遺体がまとめて投げ込まれた場所が見つかっています。
約8000年前までに、農耕共同体は西南アジアの大部分に広がり、ヨーロッパにも進出していました。新しい生活様式が繁栄しているように見えましたが、今から8200年前、世界を揺るがす環境の大変化が起こります。北アメリカ大陸に存在した巨大な氷河湖「アガシー湖」の決壊です。
北アメリカ大陸では、氷河期の衰退に伴い後退していった氷河によって地球史上最大級の湖が形成されていました。この湖に蓄えられた水は巨大な氷床によってせき止められていましたが、融解して突然決壊しました。湖の水は一気に海へと流れ込み、世界の海面が1〜2メートル上昇しました。そして、温暖な海水を北へ運ぶ巨大な海洋循環の流れが弱まりました。
これにより、北大西洋からヨーロッパに近東にかけて気候は寒冷化し、乾燥していきました。地域によっては気温が数度も下がり、夏は長く厳しくなり、100年以上続く干ばつが大地を干上がらせました。
一部の共同体にとって、これは生存そのものを脅かす危機となりましたが、環境に適応した共同体もありました。この時代、世界各地で川や湖に向かう人々が増えたことが分かっています。特に後世へ強い影響を及ぼしたのが、ティグリス川とユーフラテス川付近に移動した集団でした。ここで生まれた文明が古代メソポタミア文明でした。
この集団は何世代にもわたり、運河を掘って水を畑へと導くことで川を操り、そこで収穫された穀物を貯蔵しました。Kurzgesagtは「これは人類における大きな組織的活動の1つ」とし、はるか後の時代に初めて本格的な都市国家を生み出すことにつながったと指摘しています。
氷河決壊から1〜2世紀が経過すると、気候は安定し、干ばつも終わりました。そして人類は再び、新たな状況に直面することになりました。今から7000年前になると、食料の安定供給によって人口が増加し、一部の村落は驚くほど大きくなりました。
メソポタミアの古代都市「ウルク」では、数万人が暮らしていたと推測されています。村なら記憶だけを頼りに暮らしていくこともできますが、都市ではそうはいかないため、人々を統治する「行政」という役割が生まれました。彼らは穀物を数え、資源を分配し、都市の拡大を可能にする税を徴収しました。こうしたすべてを管理するために、粘土の球や粘土板に印を付け、大麦やヒツジの数を記録したのです。それが徐々に、実際の文字へと変化していきました。
関連する重大な記録が、今から5000年ほど前のメソポタミア文明において見つかった言葉「クシム」です。クシムはビール用の大麦を記録した粘土板に署名された文字で、何らかの組織を指しているという考えもありますが、世界最古の人名だという説が有力です。
Kurzgesagtは「ここで人類史のダークマター、記録に残らない闇の部分が終わりを迎えます。クシムについて、私たちはほかに何も知りません。ビールを受け取ったときどんな気持ちだったのか、その日に実際にビールを飲んだのか、飲んだとすればどんな味がしたのか。そして、地球上に初めて誕生した都市で、彼がどのような人生を送っていたのかも分かりません。それでも、クシムという名前は、歴史のダークマターの中に埋もれていった、忘れられたすべての人々を代表する名前です。今日の文明への道を切り開いた、無数の人生、経験、そして功績を象徴する名前なのです」とまとめています。
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