〈祖業はポンプ〉荏原の半導体装置参入は「歴史の必然」だった、日の丸半導体の黄金期に磨かれたCMP装置の革新性 | ビジネス | 東洋経済オンライン

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千葉県北部にある手賀沼周辺地域は、釣りや散歩を楽しむ人々が集まる憩いの場となっている。だが高度経済成長期の1970年代には、生活排水などによる水質汚濁で沼の水質は劣悪で、地域はアオコの発生や臭いに悩まされていた。 これを解決すべく造られた北千葉導水路の心臓が、荏原謹製の大型ポンプだった。
荏原の巨大なポンプは利根川から大量の水をくみ上げ、およそ15km離れた手賀沼まで送る。利根川のきれいな水を手賀沼に注入することで、かつて全国ワーストといわれた水質は大幅に改善された。
1920年設立の荏原は、東京帝国大学の井口在屋博士が考案した渦巻きポンプの理論を実用化するため、創業者の畠山一清が「ゐのくち式機械事務所」を1912年に創業したのが始まりだ。 祖業はインフラ向けポンプで、排水機場向けでは国内シェア約3割とトップを誇る。水の制御や過酷な環境での安定稼働、羽根車など回転体を効率よく動かすノウハウを100年以上磨き続けてきた。
半導体ビジネス参入は「歴史の必然」
このポンプの技術は、半導体分野でも用いられている。近年の荏原の主力は半導体製造装置を手がける「精密・電子事業」であり、中でもウェハーを研磨するCMP(化学機械研磨)装置は世界シェア3割を握る。同社と半導体との出合いはおよそ40年前のこと。荏原フェローで半導体事業に黎明期から携わってきた辻村学氏は「歴史の必然だった」と振り返る。

荏原の辻村学フェローは、半導体事業の立ち上げから成長期を経験してきた(撮影:梅谷秀司)
荏原の半導体事業は、85年に新規事業として産声を上げた。当時は日本の半導体メーカーが隆盛を極めていた80年代。メモリーでは東芝やNECを筆頭に、日系企業が圧倒的な世界シェアを押さえていた。市場が盛り上がる中、インフラ向けポンプが主力事業だった荏原も流行に乗る端緒を探していた。半導体の知見がない中、顧客の元をひたすら回り、任せてもらえるネタを探す日々。だが最初の1年はまったく相手にされず終わっていた。
初めに作ったのはCMP装置ではなく、ドライ真空ポンプと呼ばれる機器だ。きっかけは、ある顧客に相談を持ちかけられて知った「油回転ポンプ」の逆流問題だった。
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とくだ なつきNatsuki Tokuda
電子部品業界を担当。東京大学文学部卒業、2025年東洋経済新報社入社。中学2年生までの4年間をアメリカ・デトロイトで過ごし、大学時代は硬式野球部のマネジャーとして駆け回る。緑が好きで、ガジュマルを育てようか検討中。
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