日銀新館、「将軍の道」ふさぐ、湛山から法王へ絶好提案…道路付け替え大作戦、東洋経済と土地交換 消えた日光御成道 | 政治・経済・投資 | 東洋経済オンライン

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花のお江戸の中心地・日本橋から大通りを神田方面に向かって歩く。左手に三越本店、右にコレド室町を眺めながら三井本館を過ぎた次の四つ角が「室町三丁目南」の交差点だ。左に千疋屋総本店がある。
信号を右に曲がれば旧日光街道、左折すると50mほどで日銀通りに行く手を遮られる。前をふさぐかのようにそびえ立つ白亜の建物が日本銀行本店である。
「新館」と呼ばれる10階建てのビルが建ったのは1973年。竣工から半世紀以上経ったにもかかわらず、今なお新館と呼ばれるのは、すぐ南に隣接する「本館」が築130年にもなるからだ。
過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】
この地に本店が建ったのは、多くの民間銀行が拠点を構え、常盤橋を隔てた大手町に大蔵省や紙幣寮(現国立印刷局)があったからとされる。ちなみに、この場所にはかつて幕府直轄の「金座」が置かれ、基礎工事の際に掘った土砂から相当量の金粒が採れたという。
82年に日銀が出版した『日本銀行職場百年』(非売品)には、「業者に土砂1300坪を吟味させたところ、かなりの金粒を収集し、本行に1953円納付した」との記述がある。当時の土地の平均取得価格は1坪26円だったというから、75坪分に相当する。
だが、1896年竣工の本館はすぐに手狭となり、周辺に次々と分館が建てられていく。それでも人員と事務量の膨張に追いつけず、抜本的な増築を迫られていた。
「買う意思はありますか」 日銀、即座に飛びつく
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にしの・ともひこ
1958年長崎県生まれ。時事通信社を経てTBS入社。日本銀行、首相官邸、大蔵省などを担当。『平成金融史』(中公新書)や『ドキュメント異次元緩和』、検証経済3部作(いずれも岩波書店)など著書多数。『ドキュメント日銀漂流』(同)で2021年度石橋湛山賞受賞。23年度日本記者クラブ賞受賞。公式Xで連日発信中。
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