[ITmedia エグゼクティブ] 「昆虫サイボーグ」で災害現地の行方不明者ゼロに挑む
著者
京部康男
[ITmedia]
ITmedia エグゼクティブの7月のオンライン勉強会のタイトルは「日本人が創造した昆虫サイボーグの世界」。登壇したのは、シンガポール・南洋理工大学機械航空学科教授の佐藤裕崇氏。生きた昆虫にコンピュータを載せ、脳や筋肉に電気信号を送り込んで行動を操る「昆虫サイボーグ」を、世界に先駆けて20年以上作り続けてきた研究者だ。
なぜロボットは災害現場に来てくれないのか
「がれきの中に埋もれている人たちを必ず見つけ出して、行方不明者をゼロにする」――佐藤氏はこの目標を、研究を始めた当初から掲げ続けている。きっかけは2011年3月11日の東日本大震災だった。当時アメリカからシンガポールへ移る途中だった佐藤氏は、震災でロボットが活躍し、行方不明者を探し出すというニュースが流れるものと思っていたという。だが、それから15年がたっても、そうした報道を目にすることは一度もなかった。そこで同氏が着目したのが「虫」の活用だ。
小型ロボットの開発には60~70年の歴史があり、名だたる大学・研究機関が技術を積み重ねてきた。ただし論文発表の場での実演は、決まって平らな場所で行われる。障害物をよけながら進むには距離や大きさを見積もる画像処理が必要で、そのぶん電力を食う。動くだけで500~1000mWかかり、小型の電池では3分ともたない。だから実演の多くは、電源につないだ有線状態で行われているのが実情だという。1体作るのに2週間かかり、壊れやすさも残る。「とても素晴らしい技術ではあるけれど、虫サイズのロボットは数分しか動けないため、災害現場に投入して人を見つけることは現状できません。省エネのアクチュエーターや無線機、高容量の電池、高度なアルゴリズムを実現する小型コンピュータなど、いくつものブレイクスルーが必要で、実用化には50年、100年はかかる。災害の多い日本ではそこまで待てないので、代替となる技術が必要です。」と佐藤氏は語った。
一方の虫は、体は小さくても飛ぶ、歩く、泳ぐ、水面を滑るといった移動能力を、電力をほとんど使わずにこなしている。その神経や筋肉に電気信号を送り込んで行動を制御できれば、電力をほとんど使わない移動体になる。佐藤氏によれば、駆動に必要な電力はわずか0.2mW。浮いた電力をそのままカメラや無線通信に回せる計算になる。多少ぶつかっても壊れにくく、足が1本取れても平気で歩き続けるタフさも武器だ。コストの話になると、「ゴキブリの値段っていくらですかと聞かれたことないですよね。ほぼ無料です」と佐藤氏は付け加えた。
生きた昆虫の背中にコンピュータを搭載した「昆虫サイボーグ」(左)と、電子モジュールの接続イメージ(右)(提供:佐藤裕崇氏)
地震も台風もない国が、先に動いた
技術があっても、現場に届けるには運用の枠組みが要る。この勉強会の前日に熊本で大きな地震が発生したばかりであり、その直後にサイボーグ昆虫導入の話が持ち上がったという。
昆虫サイボーグを10体作って渡せば、すぐ動かすこと自体はできる。ただ、どの映像をどこに送り、どうやって人を見つけるかという運用の枠組みを事前に整えておかなければ、使い慣れていないレスキュー隊がいきなり使えるわけではない。平常時から導入して、事前に実地でトレーニングをして、使えるようにしていなければ実際の災害現場では無意味である。「渡しても使えないものを、今すぐ人を探さなければならない現場へ持ち込めば、かえってレスキュー活動の邪魔になってしまいます。平時から連携をしなければならない。」と佐藤氏は語る。
シンガポールでは、その運用の枠組みがすでに動いている。佐藤氏の研究室と現地のレスキュー隊およびシンガポール企業は日常的に顔を合わせ、訓練場でのテスト運転を積み重ねてきた。災害が起きれば、レスキュー隊が出動する前に佐藤氏へ連絡が入り、昆虫サイボーグを用意して手渡す。
2025年3月のミャンマー大地震では、この体制が実際に動いた。レスキュー隊は昆虫サイボーグを現地へ持ち込み、被災地で運用したのだ。「シンガポールは地震も台風もない国なのに、災害救助の技術にここまで本気で投資して、人を救う技術を開発している。私は、そのスピリットが好きです」と佐藤氏は語る。
日本では、その手前で話が止まっている。ある行政の窓口では「前例がない」という理由で承認が下りず、現場の消防隊員が「絶対使える、次はぜひやりましょう」と評価していたにもかかわらず、立ち消えになったことがあったという。「技術は我々の手元にある、現場のレスキュー隊は使いたいと言ってくれている。それなのに、『前例がない』という行政判断で、人を救うことに貢献できないことがとても悔しい」。平時から連携し、使える状態にしておくことが欠かせない、と佐藤氏は繰り返した。
昆虫用のスーツで極限の環境でのレスキューも
初期の昆虫サイボーグは、基盤を虫の背中に載せる方式が主流だった。ただ基盤の幅が虫の体より大きく、障害物に接触してしまうのが悩みの種だったという。そこで日本のムーンショット型研究開発事業の支援を受け、基盤を指の爪より小さいサイズまで小型化。虫の体内に完全に埋め込めるようになり、背中に何も載せていないぶん虫本来の動きを損なわずに機動性も上がった。
埋め込みができたことで、佐藤氏の頭には新しい発想が浮かんだ。「これなら、虫に何かを着せられる」。研究室では金属コーティングにも対応する3Dプリンターを独自開発し、配線やヒーターを組み込んだ昆虫用のスーツを作り始めた。氷点下でも動けるヒーター内蔵スーツ、酸素を供給する仕組みを備えたダイビングスーツ型の装備を使えば、水中で3時間動き続けることもできるという。「断熱材を使えば、高温や真空、放射線にも耐えられる。そうなれば火星探査のような宇宙分野に連れて行くことも技術的には可能になるんです」
生産の現場も進んでいる。ロボットアームと画像認識で昆虫サイボーグを自動で組み立てる仕組みを開発中で、スーツケース1個ほどの装置を現場に持ち込めば、レスキュー隊自身がその場で個体を用意できる体制を目指す。2016年の熊本地震を想定したシミュレーションでは、全壊した建物を一晩・8時間以内に網羅するのに約500体が必要という試算も出ているそうだ。
災害救助を超えて――パイプラインの下
用途は災害救助にとどまらない。シンガポールの陸上交通庁(LTA:Land Transport Authority)からは、道路脇の配管スペースにあるパイプラインの点検に使えないかという相談が寄せられた。パイプラインと地面の間はわずか10cmほどの隙間しかなく、液漏れやひび割れが起きやすい下側の面を見るのが難しい。今は40kgほどある蓋を人手で開け、手持ちのカメラで撮影して持ち帰る作業のため、数十kmに及ぶ道路全体の点検に半年以上かかってしまうという。そこで佐藤氏は、カート型の付属パーツを引かせる新しい昆虫サイボーグを開発中だ。積載量が増えれば、バッテリーやWi-Fi通信、カメラや照明も積みやすくなる。
シンガポール陸上交通庁(LTA)によるインフラ検査の現場。重い蓋を人手で開け、狭い配管スペースを点検している(提供:佐藤裕崇氏)
電力を使わずに人を探す、「蚊」という発想
今は赤外線カメラで人の体温を検知しているが、佐藤氏はさらに電力を使わない検知方法にも手を伸ばしている。目を付けたのは「蚊」だ。蚊は数少ない、自ら人間に向かって飛んでいく虫だという。その動きをカメラで追いかけてモデル化できれば、蚊の挙動から人がいる方向を推定できるはずだ――このアイデア自体は2019年の研究ノートに記していたが、当時は機械学習を手軽に扱える環境が整っておらず、実現には至らなかった。「今振り返ると、これこそAIが使える場面だと思ったんです」と佐藤氏。現在は早稲田大学の学生と共同で、蚊の動きを追跡して人の方向を特定する予備実験を進めている。
余談として、虫の視点をVR(仮想現実)で体験する研究にも触れた。物理的に虫の背中に乗ることはできないため、仮想空間の中で虫の世界に入り込む試みだという。捕食者と出くわしたときの行動パターンなど、外から観察するだけでは見えてこない行動学の研究にも役立っているそうだ。
大学の研究室とレスキュー隊をつなぐプロジェクトが始動
佐藤氏は最後に、大学の研究室とレスキュー隊の間をつなぐ企業の存在がどれほど重要かを訴えた。虫の形状に合わせて曲げられる基盤を作るのは難易度が高く、硬いリジッド基盤と柔らかいフレキシブル基盤を組み合わせる技術が求められる。他国では10台作って1台動けば上出来というレベルだったのに対し、新横浜のディー・クルー・テクノロジーズや京都の村田製作所といった日本企業に製作をお願いしたところ10台すべてが完璧に動作したという。「日本の製造業・モノづくりは本当に素晴らしい」と佐藤氏は評価し、防衛省や消防庁に技術を届ける体制づくりに向けて、基盤やロボットアーム、カメラといった分野で日本企業との協業を呼びかけた。
49歳になった佐藤氏は、定年までの16年で、論文や学会発表にとどまらず、研究成果を社会実装へとつなげ、研究室のメンバーとともに人命を救う技術を世に送り出して、研究者人生を締めくくりたいと語った。日本企業との連携が進めば、防衛省や消防庁による導入に向けた動きも加速する。虫に電気信号を送り続けてきた研究者の挑戦は、まだ道半ばだが、実用化は着実に近づいている。
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ITmedia エグゼクティブ勉強会レポート
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