福田康夫元首相が死去、90歳 洞爺湖サミットで議長
福田康夫元首相
自民党の福田康夫(ふくだ・やすお)元首相が22日に死去した。90歳だった。東京都出身。2008年の北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)で議長を務め、地球温暖化対策などに取り組んだが、参院で野党が多数を握る「ねじれ国会」に苦しみ、在任1年で退陣した。通夜・葬儀は近親者のみで密葬として執り行い、後日、本葬を開く。喪主は長男で自民党元総務会長の達夫(たつお)氏。自民党が26日に発表した。
早大卒業後、丸善石油(現コスモ石油)に勤務。父の福田赳夫元首相の秘書官を経て、1990年の衆院選で旧群馬3区から初当選し、連続当選7回。
2000年の第2次森内閣で官房長官として初入閣し、01年発足の小泉内閣で再任。自衛隊イラク派遣など外交・安全保障政策を官邸主導で取り仕切り、「影の外相」と言われた。長官在任期間は歴代2位の1289日で、官僚からの信頼が厚いことで知られた。
第1次安倍内閣の突然の退陣を受け、07年9月、自民党総裁に選出され、第91代首相に就任。親子2代で政権を担うのは憲政史上初。「国民目線の改革」を掲げ、消費者庁設置に力を注ぐ一方、道路特定財源の一般財源化を打ち出した。地球温暖化への具体的対策を示した「福田ビジョン」を発表したほか、日米同盟強化とアジア外交をともに重視する「共鳴外交」を提唱し、日中関係の改善に努めた。
政権運営では、ねじれ国会の打開に向け、07年11月に小沢一郎民主党代表(当時)と「大連立」を目指したが、民主党内の反発で頓挫。その後は日銀総裁人事案の国会不同意など、対決姿勢に転じた民主党の攻勢に苦しみ、参院で首相問責決議も可決。内閣支持率も低迷し、08年9月に辞任した。
KioskNews shows a cleaned-up reading view extracted from the publisher’s page — the original always lives on their site, not ours.