スパルタから個性重視へ 倒れた後も頂点に―故渡辺元智さん
2006年選抜大会で優勝し、インタビューに答える渡辺元智さん
高校野球界の名監督、渡辺元智さんが死去した。横浜高を、春夏合わせて5回の甲子園大会優勝に導いた名将。野球に対する情熱、理論、そして指導力。全てを兼ね備えた人だった。
初めての全国制覇は1973年の選抜大会。江川卓(作新学院、のち巨人)らが騒がれた、ハイレベルな大会だった。決勝を含む2試合が延長戦。接戦が続いたが、厳しい練習で鍛えられた選手たちはたくましかった。渡辺さんの監督就任6年目、28歳の時だった。
「厳しい練習をすれば日本一になれる、というような考え方が、当時はあった」と話したことがある。だが、すぐ壁にぶつかり、悩んだ。スパルタだけでは選手は動かない。温かい言葉を掛けたり、わざと突き放したり。各人の個性を重視する指導法に変わっていった。
80年夏に愛甲猛を擁して全国制覇。98年には松坂大輔らを軸に常勝チームをつくり、劇的な勝利を重ねて春夏連覇。努力と工夫が何度も花開いた。東海大相模など神奈川県内の強豪の背を追い続け、いつの間にか「東の横浜、西のPL学園」といわれるまでになった。
2006年の選抜大会で甲子園5度目の優勝を遂げた時は、喜びもひとしおだった。その2年前に脳梗塞で倒れており、「この年(61歳)で優勝なんて、思っていなかった。大変な感激です」。試合後のお立ち台で、うっすらと涙を浮かべていた。
その後は体力が落ち、指導にも時間を割けなくなっていたが、情熱は衰えなかった。孫の佳明(現楽天)が横浜高に入学すると、「祖父と孫で甲子園出場」との新たな目標を掲げ、13年夏と14年春にそれを実現させた。プロ野球に進んだ教え子は多数。高校野球のみならず、日本球界に大きな功績を残した。
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